2010年10月14日

「伯母の反物」

昨日の朝、田舎の親戚から、箱三つ分の、反物が届いた
大島や小千谷紬といった高級品から、縮緬、綿絣など
数え切れないほどのたっぷりな量である
数年前に亡くなった伯母の遺した着物反で
その伯母のことは、前に記事にしたことがある

2006年02月08日「続・ウエストの存在」

実は伯母が亡くなり、その後を追うように伯父も亡くなったとき
何の血縁もない遠縁になる親戚が、伯母の遺した着物や宝石、
作った人形の類までを、まるで火事場泥棒のように連日漁り、
持ち帰るという経緯があった

今、家に遺された養子婿である義兄はJTのOBで、真面目で物静かな人なので
そのひどい輩のなすがままにされていたのだけれど
こと自分の妻であった姉の遺品にまで手が及んだとき
とうとう抑えきれなくなって
大事な妻のものまで持っていくのはやめてくれと一喝すると
ようやく事が収まった

そんなわけで、私は欲というのではなくて、
小さな頃から可愛がってくれた大好きな伯母の形見分けもなく
とても寂しかったのだけれど
泥棒たちは、形になった着物ばかりに手を出して
反物で残っているものの値打ちはわからなかったのか
押入れにまだこれだけの遺品があったのだった

伯母たちが亡くなり、遺された義兄に
伯母に代わって相談相手になっていた母に
こんなものが残っていてもどうしようもないので
貰ってくれときた話なのだけれど
母も反物など貰っても仕方がないが私なら何とかするだろうからと
送ってもらったものなのだった

反物を眺めながら、まだ建替えをする前の
平屋だった伯母の家を思い出した
小さなテーブルに黄八丈のような色柄の反物を広げ
私は伯母に、和裁を習いに行ったのだった
テーブルの向こうには、油の匂いのする昔の足踏みミシンがあって
ちょうどこんな秋のいい日和だった

10年も前に、私が着物に夢中になっていた頃
自分の好きなデザインの昼夜帯や、裏を使った着物を着たいからと
一時、仕事帰り、阪神百貨店の和裁教室に、足掛け3年ほど通ったことがあった
伯母にその話をすると、うれしそうに
「私はこの頃、目が悪くなって針仕事が大変だから、
私の代わりに、オジちゃんに浴衣を縫ってくれない?」
と頼まれ、まだ元気だった伯父の浴衣も縫ってあげたことがあった
伯母が入院したときは、好きだった人形を作ってあげようと
古布の縮緬で、小さくて下手な人形を作って送ったこともあった
荷物の中には、伯父に作るため、取ってあった袴や浴衣の生地もあり
やはり伯母は、伯父さんのことが好きだったんだなと
胸が熱くなるようだ・・・

義兄のように物静かだった伯父は、私が中学のとき、同じ中学に転任した
当時私は、思春期で体調も気分も思わしくないうえに
風邪気味なのに夜更かしして小説などを読み漁り
ある日、保健室で、半分ズルをして休んでいたのだけれど
伯父が入ってきて驚いたことがあった
てっきり叱られると思っていたら
「徹夜で勉強でもしたんか?大丈夫か?」
と、優しく笑ってくれて、ほっとしたことがあった

総理大臣の菅さんは好きでも嫌いでもないが
あの顔立ちが伯父に似ていて、菅さんを見ると、伯父を思い出すのだった
中学の教頭で職務を終えた後は、福祉活動と、
高野山や菩提寺への寄付に余念がなかった
多分、退職金の殆どを寄付に使っていたと思う
老人になり、心細くなったのか、仏の加護を得たかったのかもしれない
お坊さんに憧れて、普段は作務衣ばかり着ていたそうだが
何の加護も得られずに、一人病院のベッドで逝った
立派な家に建て直してから、あの家には、
良いことが殆どなかったように思えるが
私は家相が悪いのだと思うがどうなのだろうか・・

そんな二人や、二人よりも先に旅立った姉のことを思い出し
懐かしいような哀しいような温かな感情が溢れる
もうすぐ命日の来る夫と、秋の池坊の展示会に伯母が来るからと
伯母から譲り受けたお姉ちゃんの大島の着物を着て
二人で高島屋に会いに行ったのも、重陽の日に近い
ちょうどこんな秋のお天気のいい日なのだった・・・

posted by マロニエのこみち・・・。 at 11:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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