2011年09月11日

「続・ルーツ・・・幻の柳行李」

昨日の美味しい頂き物の秋刀魚を、田舎の父にも少しだけお裾分けした
そのお礼の電話がかかってきたとき、
思いがけず、曽祖父の話になった・・・

私に古風な名前を付けてくれた曽祖父のことは
古い『手作り日記』にも記し、時々リンクして登場させているので
よくご存知の方もいらっしゃると思うのだけれど
その記事というのはこちらで、
最も古く懐かしい私の大切な思い出でもある・・・

【ルーツ】

この中に出てくる
>絵描き、外国航路の船乗りなど夢は他にも多々あった
>若き日の夢は、何故かたくさん授かった息子たちがそれなりに果たし

の下りは、外国航路というほどでもないが、
『大阪のおじさん』と呼んでいた甲陽園に住んでいた伯父は
かつて陸軍大佐として外国で活躍したし
『K島のおじさん』と呼んでいた伯父は、外大を卒業した後
満州に渡り、旧満州鉄道の役員として勤務した

この伯父たちの父である曽祖父の『金六さん』は、
外国航路の船長となるべく、資格を取ったのに
こっそり旅立とうと明け方の港に行ったら、
奥さんの『文さん』が港で既に待っていて
連れ戻されてしまったのである(苦笑

絵描きになるという夢は、この『大阪のおじさん』が
定年後、日本画を始め、本を出すほどの成果を収めた
現役時代は『衣文掛け』というあだ名で呼ばれ
体も顔も性格も四角四面で、当時放映されていた
『生きて屍拾うものなし』のキャッチコピーも懐かしい
【大江戸捜査網】の瑳川哲朗さんにとてもよく似ていたので
その話を聞いた時、この伯父と絵はあまりよく結びつかなかった・・
手土産が、大阪の【岩おこし】だったときは、がっかりだったが
【風月堂のゴーフル】のときは、うれしかった

法事などで、この伯父たちが集まると
実の親兄弟なのに、皆が足を崩すこともなく正座し、
敬語で穏やかに話しているので
4才で父親を亡くした養子婿の父は
父子とはこういうものなのかと驚いたそうである
伯父たちは、戸籍上の名前と
いわゆる通り名という別の名前を各々与えられていて
皆、通り名に『さん』付けで名前を呼び合っていた
古の我が家のしきたりだったのかも知れないが
今は勿論、こんなことも廃れてしまった

曽祖父は、その『絵描き』になるべく若い頃、
有名な画家のところに住み込みで修行に行っていたが
いつまで経っても雀の絵しか描かせてもらえず
先生の身の回りのお世話ばかりさせられるので
そのうち嫌気が差してきて、弟子を辞めたのである

さて、長い前置きはさておき、本題である父の話はこうだった・・・

金六さんは、毎日、待望の女曾孫である私の子守をしていた
いつもニコニコと文机に紙と墨を広げ絵を描いていた
幼い私は
「あれ描いて」「次はこれ・・」
と飽きることなく次々と要求したが、
叱ることもなく延々と、言われるままに色んな動物などの絵を描いた
私は可愛い女の子の絵しか覚えていなかったけれど
動物の絵も描いてくれていたのだ
女の子の絵には、私がクレパスで色を塗り
輪郭線からはみ出たヘタな塗り絵は、
座敷の綺麗な襖を惜しむこともなく、几帳面に並べて貼り付けられた

ある日、父が舅である曽祖父に、こんなことを尋ねてみたそうだ

・・・貴方は今までに、色んなことをしてきた。
得たものも多かった代わりに、失ったものも多いはずだ。
今、もしも、何かひとつ叶うなら、貴方は何が欲しいですか?・・・

すると、金六さんは、遠い目をして少し考え

・・・住み込みで絵を習っていたときに
先生の描き損じの半紙を、柳行李に入れてしまっていたが
大阪の戦災で、全て燃えて失った
今、何かを取り戻せるとしたら、失ったお金でも物でもなく
ただ、あの柳行李が欲しい・・・

と言ったそうだ
今まで私は、その先生というのが誰なのか知らなかったが
父の話によると、横山大観先生の愛弟子の某という方で
いわばその紙というのは、お金には換えられない
しかも国宝級の値打ちのあるものなのだろう

幼い私に絵を描きながら、曽祖父は、若き日の自分自身を思い出し
もう一度、先生の下で
純真な気持ちで絵を習いたいと思っていたのかもしれない
いかにも勉強家の曽祖父らしくて切なかった・・・

戦前、祖父の築いた大阪の造り酒屋を
セピア色の写真で見たことがあるが、
丁稚や賄いの人を何人も雇うほど立派なものだった
その跡取りの祖父を病で亡くし、家も無くし
笑っている顔しか覚えていないが
曽祖父の帰省は、傷心のものだったはずである

そういえば、曽祖父は、【素晴らしい世界旅行】のTV番組が好きだった
家にいながら、世界を観ることができる
いつもこう言っていたが、幼い私には全然面白くない時間だったが・・・
あのときもきっと、若き日描いた夢を、思い出していたのだろう

>墨と、クレパスと、鉛筆の芯と、油紙と、新聞紙と
薬草と、時に芳しい厠の匂いと部屋を照らす日なたの匂い

の曽祖父を微かな記憶の中で思い起こすと
幸福で温かく、そして泣きたいほどに切なくなるのだ

posted by マロニエのこみち・・・。 at 13:22| Comment(4) | TrackBack(0) | 思い出話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
マロニエさん
 復活されて嬉しいです。
 「金六さん」ですか?私より少し数が多いですね。でも、なんとなく親しみが湧きます。お逢いしたこともないのに・・・。
Posted by ふたば at 2011年09月12日 06:14
ふたばさん

おはようございます
いつもありがとうございます!
そうですか^^
うれしいです
今、会ったらどんな話ができるだろうか・・
そんなことを楽しく想像しながら思い出話を書いてみました
Posted by マロニエのこみち・・・。 at 2011年09月12日 11:24
今日は。

父上さまの名が出ましたので、懐かしく拝見しました。
消防団の団長をされたり、それ以前も消防で活躍された記事を覚えています。
最近では、畑の作物を送って下さったり。

お元気でお暮らしかと、読み進めば、更なるご先祖、曾祖父母さまのお話。

自分の身内の話のように懐かしい想いで、興味深く拝見しました。

マロニエさんの絵の才能や、進取や情熱の気性。
それに明るく優しい人格はご先祖さまからのDNAが直接に、
あるは隔世に姿を現せたように思えます。

そう言えば、ケイヨウ坊も人を想う優しいし子。
絵や写真も好き。
すでに、一部は発現しています。
丈夫に育って欲しいと願っています。
Posted by ijin at 2011年09月13日 16:01
ijinさん

こんにちは
いつまでも暑いですね;;
私の中でijinさんは、親戚のような御方ですから^^
そう言って頂けてうれしいです
このK島の伯父というのが、K野出身で、ijinさんの同窓生なのですよ^^
戸籍上は違いますが、この人が実は、私達の祖父なのです
ijinさんには、いつも私たちのことを優しく見守って頂き感謝しております♪
ありがとうございます!


Posted by マロニエのこみち・・・。 at 2011年09月13日 17:13
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