2012年03月07日

「阿波の遊山箱〜川遊びの思い出」

ずっと以前、こんな記事を書いたことがあった

2006年04月29日「川遊び、野草の思い出」

このとき私は、
>春になると、恒例行事のように、友達と連れ立って川に行った

と書きつつも、そのとき実は
・・・あの頃の川遊びは、単純に普段の遊びではなく
本当に年に一度の、特別な恒例行事だったのだ・・・
と思いながらも、記憶があまり定かでないので、ありきたりの文にしたのだった
それが、偶然行き当たった記事を見て
・・・ああ、これなんだ。間違いない。私たちは、この行事の為に、
川にわざわざ行ったのだ・・・。と記憶がしっかり繋がった

阿波の遊山箱文化について

遊山箱とは、徳島に伝わる持ち手の付いた漆塗りなどの重箱で
読んで字のごとく、物見遊山に使われた弁当箱
旧暦3月4日の川遊びや、花見のときに、子供が専用で使うもの
そして更に行事について詳しいことが、徳島県立博物館の資料に書かれている

Q & A 「シカノアクニチ」とはどういう日ですか? 

とにかく私は子どもの頃、旧暦3月4日の日に、母屋と言っていた親戚の
幼なじみと連れ立って、子供たちだけで、近所の河原に遊びに行った
その日は、朝から祖母と母が、巻き寿司や卵焼き等のご馳走を作ってくれ
「お雛さんのあられ」と呼んでいた小さなあられや「ういろう」などを
水筒と共に持たせてくれた

川は、子どもの脚で歩いても10分程度のところにあって
普段から時々遊びに行ったりはしたものの、
こんな風に、仰々しくもお弁当持参で
「行っておいで!」と声をかけて、送り出してくれるのは、この日だけだった
行ったのも多分三度ほどだと思うが、
毎年出かけられたのは、春休みだったからだと思う

水が温み、明るい日差しが川面を照らし、枯木に足を取られたり
棘に刺されないよう気をつけながら
白い野バラの匂いをかいだこと・・・
お祖母ちゃんへのお土産に、イタドリや土筆や、「カラスのパッパ」を摘んだこと・・・
裸足になって、そっと浅瀬に入り、日差しで熱くなった石で足を乾かしたこと・・・

お腹が空くと、母屋から持って来てくれたゴザを広げて川辺に座った
日差しの中で食べるお弁当やお菓子の美味しかったこと・・・
お雛さんのあられは、それもそのときだけのもので
お茶の上に浮かべて頂くのだけれど、ほんの少し塩気がして妙に美味しかった
徳島のういろは、名古屋のそれとは違い、とても弾力があるのである

本来ならば、これらを遊山箱に詰めるのだけれど
私の持っていたのは、確か中央から両開きの籐のバスケットだった
それなのに、遊山箱を知っていたのは、多分、親戚の子が持っていたのかもしれない
これらの懐かしい伝統行事が行われたのは、昭和40年頃までということだから
私は、その最後の世代なのかもしれない
妹や弟たちは、多分知らないのではないだろうか・・・

母は、大阪で生まれ、幼少期も大阪で過ごしたから、
この経験は、多分、なかったのではと思うけれど
祖母は、嫁に来るまで、徳島で生まれ育ったので
旧暦3月4日は、こうするものだと普通に思っていたのかもしれない

思う存分遊んで家に帰ってから、母と一緒にお雛様を仕舞ったと記憶している
私のお雛様は、お顔が美しく、七段飾りの立派なもので、
箪笥などの小さな調度品も可愛らしくて好きだった
お雛様の壇の前にも大きな机を出して、赤い布を掛け
コケシやフランス人形や、くるくる回る人形のオルゴールや
お土産物のクロンボの人形までも
家の中のお人形と呼ばれるものを全て並べ、盛大な飾り付けをしていたので
出すのも仕舞うのも大変だったが、楽しかった

長い間、忘れ去られていた遊山箱にまつわる伝統行事は、
この頃、また、継承しようと言う動きがあるそうである
片田舎の故郷に、こんな雅な、誇るべき文化があったこと
そしてその記憶を持っていたこと
送り出してくれた働き者の祖母の思い出
若く、優しく、綺麗だった母のこと・・・

阿波の遊山箱は、別名阿波の玉手箱とも呼ばれるらしいが
これらの思い出の全てが、まさしく玉手箱であり
川面の陽光のように眩しくて温かく美しい・・・

posted by マロニエのこみち・・・。 at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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