2012年11月29日

「秋の読書と挿絵にまつわる・・・B」

次に手にした棚の本は、森 茉莉さんの【贅澤貧乏】

この本に出会ったのは高校時代で
当時、友達の友達の友達だったMさんという同級生と文通していたのだけれど
そのMさんが紹介して下さった短大生のお姉さんとも
Mさんを介して文通が始まった

Mさんとそのお姉さんは従姉妹同士で、家もご近所で
大きな農家の跡取娘と言う育った環境も同じで、苗字も同じで
二人とも、すらっとした美人だった
今も多分そうだろうと思うけれども
当時から宝塚の大ファンで、二人でレースやリボンの付いた
白いお姫様ドレスなどで装いながら
月一か、二ヶ月に一度ほどの割合で、徳島から神戸まで水中翼船に乗り
劇場まで足しげく通っていたのだった
そのお姉さんが、

・・・森茉莉は、もう読まれた?とても素敵よ・・・

とおっしゃるので、いそいそと本屋に行った
買ったのは、多分、新潮の文庫本で、表題作の他
【恋人たちの森】【甘い蜜の部屋】などが入っていたと思う
今でも、森茉莉と聞くと、深まりゆく秋の気配と共に
文通で使っていた、小さな枯葉が舞うイラストの便箋や封筒
ローズ色の軸のセーラー万年筆に、すみれ色のカートリッジを入れて
ワクワクしながら書いた手紙等々・・・
本の内容さながらの、ロマンティックなモノたちが浮かんでくるのだ

その文庫本は、数々の引越しとともに何処かに行ってしまったけれど
数年前にまた思い出し、この本なら、ハードカバーで持っていてもいいなと
古本で(古本が多くてすみません)買っていたものだった

贅沢貧乏

栞代わりに挟んでいる蔦の葉は、拾った落ち葉だけれど
大きすぎて少しだけ先端がはみ出すので、
はみ出す部分をクルクルと変えながら使っているが
【紅い空の朝から・・・】などを読んでみても
この枯れかけた大きな蔦が自分の著作に挟んであることに、
ヘンジンで、洋物かぶれで、気難しく生活能力の全くない
童女がそのままお婆さんになったようなロマンティックな女流作家は
怒ったりしないだろうと思われる
多分、大好きな色であり、アイテムなのではないかと思ったりする

『…朧ろなオリイブ色や鈍い黄色の濃淡、水灰色、柔らかな煉瓦色・・・』
『…露草とアスパラガス、薔薇、小百合の葉、なぞの枯れた花束の下に、
ボッチチェリの春の女神が三人…』
『…紅茶の輝き、無糖コンデンスミルクの澱んだ白、
ボッチチェリの薔薇の花の茶碗、透明なミルク入れ、
濃い菫色に光るアルマイトの菓子入れ・・・』


などの表現を読むと、実際にどんな色の組み合わせでどんな部屋なのか
久しぶりに絵の具を取り出し、パレットに色を広げ
挿絵やイメージ画のようなものを描きたくなるし
硝子に陶酔している硝子フェチの記述などは、
同じくどんなガラスでも捨てることが出来ず、
中でも私の一番のヒットを、森茉莉風に表現すれば

・・・波や、ダイヤの繊細な彫刻の施され
ボッチチェリの女神の腰の丸みのような、
陶酔する程に美しいアーチの描かれた
丸型のシルエットの海苔の佃煮の空壜と、
かつては琥珀色に輝く透明な胡麻油で満たされていた
今は夕暮れの深い紅色や、明方の空のような黄金色をした
芳しい菊の花束が入れられ、我が住居の薄い水色のタイルの貼られた
トワレットに飾られている空壜の花瓶は・・』(笑)


だと歓喜している私なので、もし今もお近くでご存命ならば、
きっと愉快なガラクタ談義が出来たのでは・・・と想像するだけでも楽しい
そして、唯一得意だったと言われている料理や、食べ物の記述も素晴らしいが
中でも大好きだとおっしゃる『英吉利チョコレエト』を齧るところは
深夜、こちらまでチョコが食べたくなり、でもチョコの買い置きはないので
珈琲を濃い目に入れて飲みながら読んでいたら、
結局頭が冴えてしまい、最後まで読んでしまったので
翌日は、少々睡眠不足で困ってしまった

そんな森茉莉独特の世界だけれど、二度の離婚、貧乏な一人暮らし
何か書かなければ明日の食事にも困るというような
実際のところ想像するに、かなり逼迫した辛い状況ではあったわけで
若い頃に読むのもいいけれど、書かれた当時の実年齢に近くなればなるほど
より味わいを持って読むことができることを認識した

この作家の生存の頃の逸話に触れるたび、
現実にこんなお婆さんが近くにいたら、
迷惑極まりない話なのかもしれないが
この京都と言う土地もかなりのヘンジン揃いのところなので
事実、よく似た老女を私は何人も見てきたし
どちらかと言えば、お友達になれる要素は多々あるのである

そして、最も興味深かったのは、随筆や小説を書く苦難が
割と正直に書かれていることで
しかも、自らは他人の悪口や非難などが大好きなくせに
意外にも他人の評価をとても気にしていたというところなど
お嬢様気質の抜けない憎めない可愛らしさや、親しみのようなものを感じる

そして、ご自身は、この表現が大嫌いだとおっしゃる『ユウモア』
この『ユウモアではないおかしみ』が、森茉莉自身にも満ちている
名前を変えて、度々登場してくる室生犀星が
森茉莉ならぬ『牟礼魔利』(むれまり)のことを表現している箇所は
あまりの可笑しさに、深夜一人で声を上げて笑ってしまった程だけれど
こうしてかなり冷静に自己分析し
それを他人に言わせるという究極の自虐ネタで作品を作ってしまう筆力は
生活能力とは別のところでの生きる能力というのか、
作家の作家たる凄まじい性と鈍感力と、究極の『おかしみ』
そして生きることの哀れ(あはれと表現したい)を感じる・・・

表題作以外に【青い栗】という前期の作品が載っているが
あまり装飾のない文体が新鮮で、醸し出されているアンニュイは
私の一番好きな原田康子さんに通じるものがあることも初めて知った
そう思うと、お顔もどことなく似ておられるような・・

ところで、その原田康子の【挽歌】
これもわりと最近、文庫本バージョンが欲しくて買った古本だけれど

DSCF0848-1.jpg

DSCF0848.JPG

中学のとき、購入した記念すべき文庫本の表紙は
左右に大小の木が、紫や芥子の大胆なタッチで描かれていたもので
こちらは同じ木でも、北大のポプラ並木のようだけれど
サインを見ると、同じ人に間違いなく
『yasu』と筆記体で書かれている

そこで知りたいのは、この挿絵画家のお名前なのだ
多分、昭和4、50年頃、ご活躍されていた
挿絵画家ではないかと想像しているのだけれど
何方かご存じないでしょうか?
今のところ、全く情報が見つかりません

posted by マロニエのこみち・・・。 at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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