2014年01月06日

「追悼・・・始まりは大瀧詠一」

大晦日、いまいち観る気もしないけれど
とりあえず、紅白にチャンネルを合わせておこうと
TVをつけた瞬間だった

突然、ニュースで流れた大瀧詠一氏の訃報・・・
いったい何が起こったのか・・・
一瞬ポカンと時間が止まった



・・・とは言うもの、この方の音楽にも経歴にも
特に詳しいわけではないのだけれど
私の来し方を思うにつけ
このことを、書かずにはいられない

そう・・・
まさしく先の記事で取り上げたレコード大賞の年
忘れもしない1982年の秋のこと・・・
大瀧氏が前年に出したアルバム【A LONG VACATION】が
延々と流れる店内
この店に出会ったおかげで、私の人生は大きく変わった



あれほど思い焦がれて移り住んだ京都の町だったが
この町は、私を受け入れてはくれないのだろうか・・・
出会うもの、起こること全てが空しい毎日

当時の京都は、70年代の混沌とした気だるさがまだ色濃く残るものの
今まさに、新しい時代が訪れかけているのだと感じられる
ざわざわとした空気と、活気にも満ちていた

その波に乗りたいと思いながら、このままではどうにもならないと
休みになると、今は無きジャズ喫茶
荒神口の【しあんくれーる】に通い
煙草の煙で濁る店の中で、苦い珈琲を飲んでいた

立命館在学中に、同じくこの店に入り浸り
二十歳の命を自ら落とした高野某女の後を追い
若い衝動に駆られて、私自身も、
あの頃、既に、故郷に骨となって
送り返されていても、決して不思議ではなかったのだ


とりあえず、今の自分を変えてみよう
私は、それまでいた世界を捨て、一人暮らしを始めた
そして、知人に連れられ入った店・・・
くだらない知人に導かれ知った店ではあったけれど
特異なその店は、私の人生を変えてしまった

ほんの僅かな期間だったが、そこで過ごした一時期と
そのときに出会った人や出来事
それがまさしく私の一度目の
大きなターニングポイントとなったのだ

あの軽やかで躍動的な【君は天然色】のイントロは
当時の空気や気分に恐ろしいほどマッチしている
私を受け入れてくれる自由な世界が、この京都にもあったのだ

あの軽快なリズムを聞きながら
私は、自分自身の暗い青春を叩き潰した


・・・私の人生は、その頃から少しずつ、前に向かって進み始めた・・・


その店を離れてからも、幾度かのターニングポイントを経て
今日に続く人生ではあるけれど
今こうして、傍にいる子供と笑顔を交わし
穏やかにラジオ放送を聴きながら、自営の針仕事をする毎日
そのこと自体が、思えばとても不思議なことに感じられる


あの店で出会った、大好きだった今は亡きあの人、この人
その後、久しぶりに会ったその中の一人、Yさんは
今も健在ながら、別れた女ただ一人に向かい
ツイッターで呟いているが
亡きA氏の無念を晴らせるのは、貴方だけではないのだろうか
多分、このブログも覗いてくれているかもしれないから
これは私からのエールです

そういえば、あの大瀧氏のアルバムを
カセットに入れて持ってきたのは
あのくだらない知人だったのだけれど
彼は今、どうしているのだろう
Yさん曰く、滑稽なだけのあの男は、
私を店に連れてくるために存在したのだと言い
二人で大笑いしたことがあった
そんな男でも、その意味では、彼は私の一番の恩人だった

大瀧氏の遺した音を聞きながら、当時に思いを馳せていると
懐かしい人の笑顔や声が、今も聞こえて来るようだ
寒かったあの年の木枯らしの、身を切るような冷たさ
西木屋町の、静かな水の流れや、枯れ残った木々の葉の色
裸電球のオレンジの灯り、吐く息の白さまでもが、今でも・・・

ほんの少しだけ色褪せた、美しい天然色で蘇る・・・


img049.jpg






posted by マロニエのこみち・・・。 at 14:20| Comment(4) | TrackBack(0) | 懐かしの歌謡曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今年もよろしくお願いいたします。

ここへ来ると大滝詠一氏に会えるような気がしていました。
彼の軽快なメロディとさらりと歌っているような 口ずさみたくなるような歌の数々、 ええ!!と びっくりしましたよね。
正月はデパートでCDを探しましたが 「幸せの結末」が入っていないアルバムが1つしかなかったんで やめました。レンタルならあるかなぁと 思っています。
こういう雰囲気の人ってそういないのよね。
Posted by アトリエ夢 at 2014年01月06日 20:42
私はその「混沌とした70年代」に京都で暮らしていた若者の一人です。当時は大滝詠一のようなオシャレな音楽はまだ現れていなくて、岡林やナターシャセブンのプロテストソングを経て、チューリップやかぐや姫に代表される70年代フォークが全盛を迎えた時代でした。それらの歌はそれはそれは京都という街にぴったりと合っていて、40年近くたった今も未だにその呪縛から逃れられないほどです。
ちなみに私は立命館大学に通っていて、かの高野悦子さんは先輩にあたり、「二十歳の原点」はバイブルでした。もちろんあんな鋭敏な感性は持ち合わせていなくて、目つきだけ鋭い、アルバイトにあくせくする貧乏学生だったわけですけどね。
あの時代に帰りたいかと言われれば、迷った末に「ノー」と答えますが、マロニエのこみちさんと同様、やはり私にとっては宝物の時代です。
Posted by ギャンブラー at 2014年01月06日 23:55
アトリエ夢さん

おめでとうございます♪

本当に、昨年は、ええ!!の多い一年でしたね
そして、最後の最後に・・・驚きました
そうですか・・デパートにもなかったですか・・
アマゾンにはないのでしょうか
そのうち、いい追悼アルバムがでるかもしれませんね^^
私は、あの三ツ矢サイダーのCMソングが新鮮でしたが・・・

今年もどうぞよろしくお願いいたします♪
Posted by マロニエのこみち・・・。 at 2014年01月07日 08:48
ギャンブラーさん

こんにちは♪
その店は、まさしく、プロテスタントフォークで一世代築いた人や
ギャンブラーさんの先輩にあたる人たちの作った関西フォークのシンガー、
あるいは、京都を本拠地とする芸術家たちの集まる場所でしたので、
その時代に子供時代に送った私も、どっぷりその空気に触れることができました
高野悦子さんの話もしましたが、知らない人はいませんでしたね
当時は、華やかなDに比べると
真面目で地味な勤労学生のイメージの強い立命の学生さんでしたが
今は皆、いかにも頭のよさそうな坊ちゃん、嬢ちゃんばかりで
案外ハタチノゲンテンなんて、知らない人のほうが多いのかもしれませんよ^^
京都で学生生活を送った人は、そのままいついてしまう人も多い中で
ギャンブラーさんは、大阪でもなく、わざわざ東京まで行かれたというだけで
野心に燃えた目つきの鋭い若者だったことが偲ばれるような気がします
それが今は、金に塗れて(笑)すっかり堕落なさいましたね(爆
・・ま、私も人のことは言えませんが・・・(笑
惜しむべくは、この時代が、ギャンブラーさんとかぶらなかったことです
もしすれ違っていたら、私たちの運命も、変わっていたかもしれませんね(爆
そうそう・・↑の夢さんとは、ギャンブラーさん、きっと同じ時代を過ごしていた筈ですよ!
Posted by マロニエのこみち・・・。 at 2014年01月07日 09:02
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック