2015年10月30日

「セーラー服にまつわる・・・」

少し前、セーラー服を作った
・・といっても、本物の学生服ではなくて
例によって、関ジャニと同じ『衣装』なのだけれど・・


作りながら、そういえば、長らく服を仕立てているけど
セーラー服は初めてだったことに気づいた



セーラー服といえば、思い出すことがある
私の通った中学の制服がそれだった
ラインのない紺地に、フロントの当て布もなく
同じく紺のスカーフの、ほとんど原型のようなデザイン・・
夏服は、紺の上衣が綿ポリの半袖の白になる


中学に上る頃、母の従姉妹に当たる・・
(母によれば、生んだ自分よりも、私がそっくりだと言う)
その伯母が、一人娘のお姉ちゃんが着ていたセーラー服は
舶来のカシミヤの上等の生地で仕立てたもので
ほとんど痛んでもいないから、生地の裏を使って
仕立て直したらどうかと言って、譲ってくれた・・

要するに、今私がよくやっている「リメイク」である


あの頃はまだ、ユニフォーム専門店などなく
どこかに個人で仕立てに行くか、
学校が地域の洋服屋に取りまとめてもらって
そこからどこかの仕立て屋に、振り分けていたように思う
確か、制服の仕様書を、学校から預かってきたような記憶が・・


私が連れて行かれたのは、隣町の仕立て屋で
ずっと母がオーダーを頼んでいた店・・
小学生の頃は、既製品が着られるようになったけれど
もっと小さい頃から学校に上るまで
私は体が大きくて、既製品が合わなかった


市内の生地屋で、母が好きな生地を買い
自分の服を仕立ててもらった残り布で、私の服も作らせていた
小さい頃は、月に一度は、その店に行っていたので
久々に行った店の人は喜んで、お嬢ちゃん、大きくなって・・・
などの会話をしながら、寸法を測ってもらったのだ


今思えば、そんな時代の仕立て屋は、さぞかし大変だったと思う
上衣だけならまだしも、
多分24本くらいの、オールプリーツの時代である。。

中学の校則は厳しくて、セーラー服の下には
胸元から見えるものを着たらいけなかった
寒い冬、一体何を着ていたのだろう・・
確か、同じ紺のカーディガンを羽織っていただろうか。。
コートも紺かベージュのダスターコート
タイツも穿いたらダメで、ストッキングに、白のソックスだった
唯一自由だったのは、マフラーと手袋だったように記憶している


全て解いて仕立て直すなど、とても大変な作業である
今、やっているからよくわかる

実際のところ、手間賃から言うと
かなり高価な制服になってしまったのではないだろうか。。
先日の布フェスではないけれど、その頃はまだ
『いいものを大切に長く使う』の風習が
残っていたのかもしれない


他の友達が、サージのウールを着ている中、カシミヤの
しかもお姉ちゃんから譲り受けたオーダー服なのだということは、
ちょっとした内なる誇りでもあったけれど
以前、無花果の話で書いた様に、中学時代に楽しい思い出は少ない


根っこが生真面目な、田舎の中学生だったから
今のように、カスタマイズして着るなんて、思いもよらなかった
ストーブもエアコンもない部屋で、よく我慢していたものだと
今になって思う。。。

写真は、すっかりモデルモードになっている中二のBoy


018-2.jpg
posted by マロニエのこみち・・・。 at 13:00| 京都 ☁| Comment(2) | 思い出話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
セーラーの中に着用可でしたよ。
冬はスラックスも可。
1時間目とかならスキー用オーバーズボン着用でも怒られませんでしたよ。
おしゃれな子は薄着を貫いていたので、むしろ「がっつり着込め」と勧められたくらい(笑)

私のように郊外から歩いて通う子は
ダイヤモンドダスト漂う中登校したり
吹雪の中下校したりということがあったので
暖かい服装をしないと大変でしたが。
マイナス20度下回ると、2時間遅れ登校なんてこともありましたよ。
Posted by もみじ at 2015年11月02日 15:54
もみじさん

おはようございます♪
マイナス20度?
ダイヤモンドダスト???

ほとんど想像できない世界です〜〜;;
そりゃ、スキー用ズボンでもさむいでしょ!

でも、昭和の頃の四国も寒くて・・・
着込んだらいけないといわれても〜〜
寒すぎて、勉強できるような状態ではなかったような思い出が〜〜(笑
Posted by マロニエのこみち・・・。 at 2015年11月05日 09:11
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