2015年11月20日

「北の湖親方の訃報に際し・・」

私は普段、TVのニュースやワイドショーは、一切観ないのだけれど
さっき、ニュース関係、全部、録画のセットをしてきた


私が小さい頃、父は単身赴任で別居していたが
小学校の4年で一緒に住むようになり、それ以降は、場所が始まると
私が夕刻、機嫌よく漫画や歌番組を観ているときに
突然父が茶の間にやって来て、チャンネルを変え、
いきなり大相撲が始まるので
正直、大迷惑で、大相撲が嫌いだった



でも、嫌々ながらも、仕方なく付き合ってぼんやりと観ていると
だんだん取り組みが面白くなってきて
取り組み前、力士が塩をまいたり、四股を踏んだり
アナウンサーと解説者の話を聞くことまでが楽しくなって
高校の頃は、完全に大相撲のとりこになっていた


当時、人気力士はたくさんいたが、圧倒的に強いのは北の湖
憎たらしいくらいに強いだの、ふてぶてしいだの
色々と言われてはいたが、女の子目線ではちょっと違い

本当は、とても繊細で、気の小さい人なのではないだろうか・・とか
笑ってはいけないと苦虫をつぶしたような顔をしつつも
時折、堪えきれないように、にやっと笑ってしまい
また、困ったように、元の顔に戻るところや、せっかちなところ
よく見れば、五月人形のような整った可愛い顔だったりと
あれこれ詮索してしまう「可愛げ」があって
そこがとても魅力的だったのだ


ほかに、顔のいい力士、魅力的な力士も、今と違いたくさんいたが
ダントツ、好きなのは、北の湖だった

当時、父は、貴乃花を応援していたので
私が北の湖が好きだと知ると、
「お前、あのアホが好きなのか」と言いつつも
決して嫌ではないみたいで、笑っていた


銀行員時代、職場で、なかなか馴染めなかったけれど
場所になると、休憩所にテレビがあって
女性の、だいぶ年上の先輩が、いつもそこに座っていらした
その方は、荒勢関のファンだったのだ

・・・すみません。隣で観てもいいですか?・・と
普通なら、話などできなかったけれど
同じ相撲好きということで親しくなった


24歳の頃、岐路に立ち、進路に迷った頃に、
「もう一歩、前へ出れば勝てる」という、北の湖の本が出た
その中には、子供の頃、多分こうなのでは。。。と
私が思った通りの、シャイで可愛い人・・な部分が感じられ
同時に、やはり流石に、大横綱になられただけのことはあるなと
関心させられることもあれこれと書かれていて
当時の私に、ちょっとした勇気・・・というのか
いわゆる「元気をもらった」本になった



とにもかくにも、千代の富士に負けたあの大一番の
膝をついた姿は、あまりにも哀しかった・・
その後、引退され、次は、北の湖を倒した天敵、
千代の富士を応援した
何故ならば、ずっと好きだった横綱を引退に追いやったからには
もっと強くなってくれないと、こちらとしては困るのだった


 その後、時代の変遷とともに、贔屓力士は変わったし
相撲協会に入られてからの親方は、ちょっと残念だったので
このところは、場所中のTVで少しお見かけするくらいに
なってしまってはいたけれど
思いがけない訃報に、現役時代のお姿が浮かんできた
さっき、当時のお姿が映像に出て、思わず懐かしさでうるっときた


好きだった・・・淋しい
信じたくなくて、言いたくない言葉だけれど

心より、ご冥福をお祈りいたします
どうか安らかにお眠り下さい
(あかん・・・こんなこと書いたら泣けてきた)

posted by マロニエのこみち・・・。 at 23:34| 京都 ☀| Comment(4) | ニュースにまつわる・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私も、北の湖、嫌いじゃありませんでしたよ。他の人気横綱に比べて無骨なイメージが魅力的でした。きっと不器用で、ぶっきらぼうで、外から誤解を受けるタイプだったのでしょう。朝青龍が訃報に対して涙を流したという報を聞いて、何だかじ〜んと来ました。
理事長時代の不祥事も、彼自身ではなく周囲の人物、さらには角界全体の体質に原因があったと思います。その批判を一身に背負ったことが命を縮めた、という面があったのでは。

それにしても、人気を二分した輪島が喉頭がんで声を失い、フルフ千代の富士が膵臓がんで手術と、人のはかなさ、栄枯盛衰をしみじみと感じる秋ですね。
Posted by ギャンフラー at 2015年11月22日 01:04
新聞で北の湖親方の訃報を見て、一番にマロニエさんのことが頭に浮かびました。
さぞや…と
急だっただけに寂しさもひとしおですね。
ご冥福を祈ります。

Posted by 文庫あるじ at 2015年11月22日 10:08
ギャンブラーさん

こんにちは。
九州場所が終わり、まさかの訃報に愕然とし、まさしく灯が消えたようです。
まだ10代の子供が田舎から出てきて、あっという間に角界のトップに昇り、その後亡くなるまで、国技すなわち、国を背負ってきたのですから、人知れぬほど壮絶な心労があったでしょね。。
朝青龍もよく似たタイプだっただけに、思いは深かったことでしょう。。
寺尾さんが、「言った事は必ずやる。そしてその責任が自分がとる。まさしく男の中の男」と言われたのが印象に残りました。
亡くなられた方のことを悪く言う人はいないでしょうが、本当のことでなければ、こんな言葉も出ないでしょう。。。
名勝負を振り返るにつけ、自分自身の来し方も思い出して、感慨深く何とも切なくなりますね。。
角界の今後が心配ながらなんとか頑張って欲しいものですね。

Posted by マロニエのこみち・・・。 at 2015年11月23日 13:41
文庫あるじさま

こんにちは。
なんてお優しい。。。
心にしみます(涙;
まさかまさか・・こんなことになるなんて・・・
でも、最後までドラマティックで、まさしく昭和の大横綱にふさわしい最期でした。
ご冥福を祈ります。
Posted by マロニエのこみち・・・。 at 2015年11月23日 13:43
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